試合前、選手の呼吸が浅くなっていませんか
大事な試合の直前、ベンチで選手の様子を見ていると、呼吸が浅く速くなっている選手がいます。声をかけても上の空で、いつもの動きができない。練習では打てていたのに、本番では体が固まってしまう。
こうした緊張は「気持ちの問題」と片付けられがちですが、実は体の反応として起きています。立命館大学スポーツ健康科学部の笹塲育子准教授の研究では、過度のプレッシャーで過緊張状態にあるアスリートは心拍数が増加し、呼吸も通常より多く浅くなることが確認されています。
つまり、緊張は気持ちだけでなく、呼吸や心拍という体の変化として表れるのです。だからこそ、体に直接働きかける方法が有効になります。
呼吸法がなぜ効くのか
笹塲准教授の研究では、オリンピック出場を目指すトップアスリートに対して、数年間にわたる長期的な支援プログラムを実施しました。その中で選ばれたのが「腹式呼吸」です。
呼吸法が選ばれた理由は明確です。過緊張状態で心拍数が上がり、呼吸が乱れている中で、本人が意図的に調整でき、身体に直接働きかけることができるからです。呼吸は自分でコントロールできる数少ない体の反応であり、セルフコントロールスキルとして効果的であることが実証されています。
この研究では、最初に実験室で呼吸法トレーニングを実施し、その前後で心拍数や呼吸のリズム・呼吸数などを測定しました。トレーニング効果を数値で可視化し、すぐにそれをアスリートにフィードバックすることで、本人が効果を実感できるようにしたのです。
その後、呼吸法トレーニングを継続しながら心拍数・呼吸数などを測定し、トレーニング効果を定量的に検証しました。最終段階では、実際の大会に近い状況を設定して試技会を実施。本番さながらにパフォーマンス直前に呼吸法を行い、競技場面でも呼吸法が最善の集中状態を維持することに効果を発揮することを実証しました。
対象のアスリートは、実際にセルフコントロールスキルとして呼吸法を身につけ、最大の目標だったオリンピック出場を果たしています。
高校野球の現場でどう使うか
呼吸法は特別な道具も時間も必要ありません。グラウンドでも、試合前のベンチでも、すぐに試せる方法です。
まず、練習の中で呼吸法を試す時間を作ってみてはいかがでしょうか。ノックの前、打撃練習の前、5分でも構いません。選手に腹式呼吸を教え、その前後で「体がどう変わったか」を言葉にしてもらうのです。
腹式呼吸の基本は、鼻から4秒かけて息を吸い、口から8秒かけてゆっくり吐くこと。お腹に手を当てて、息を吸うときにお腹が膨らみ、吐くときに凹むのを確認します。これを3〜5回繰り返すだけで、心拍数が落ち着き、呼吸が深くなります。
大事なのは、選手自身が「効いている」と実感することです。笹塲准教授の研究でも、数値で効果を可視化してフィードバックすることが重視されていました。高校野球の現場では数値を測る必要はありませんが、「さっきより落ち着いた気がする」「体が軽くなった」という選手の言葉を拾ってあげることが、呼吸法を続ける動機になります。
本番で使えるようにするために
呼吸法を試合で使えるようにするには、練習の中で繰り返すことが必要です。笹塲准教授の研究でも、数年間にわたる継続的なトレーニングが行われました。
試合前の円陣の前に1分間呼吸法をする、打席に入る前にマウンド裏で深呼吸をする、といった「いつやるか」を決めておくと、選手も習慣にしやすくなります。
また、呼吸法は緊張を完全になくすものではありません。米国オリンピック委員会のスポーツ心理学者ピーター・ハーベル氏は、テニスのラファエル・ナダルの言葉を引用しています。ナダルは全仏オープンで「何年もの間、この場所でプレーしてきているが、いつだって疑いの気持ちしかない」と語っています。それでもナダルは全仏を13度制しているのです。
ハーベル氏は「思考や感情ではなく、注意力こそがパフォーマンスに最も影響する」と指摘しています。呼吸法は、緊張をなくすのではなく、緊張している中でも注意力を保つための道具なのです。
選手に伝えたい一言
呼吸法を選手に教えるとき、「緊張するのは悪いことじゃない」と伝えてあげてください。緊張は体が本番に備えている証拠です。その緊張と一緒に戦うための道具が呼吸法です。
明日の練習で、試合前の円陣の前に1分間、全員で深呼吸をしてみてはいかがでしょうか。それだけで、選手の体と心が少し変わるかもしれません。