メンタル

走り続ける選手の心を支える マラソンから学ぶ高校野球の心理サポート

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夏の大会前夜、一人でグラウンドを走る選手がいた

夏の大会を1週間後に控えた夕方、グラウンドに一人で残って走っている選手がいました。3年生のエース。投げ込みではなく、ただ黙々と外野を走っている。声をかけると「何となく不安で」とだけ答えました。

あなたのチームにも、こんな選手はいませんか。技術的には問題ない。練習もまじめにやっている。でも大事な場面になると、どこか心ここにあらずの表情になる。そんな選手に、あなたはどんな言葉をかけていますか。

「気合いを入れろ」「考えすぎるな」そう声をかけても、選手の表情は変わらない。なぜか。それは心の問題を、技術や根性の問題として扱おうとしているからかもしれません。

走り続ける選手が抱える「見えない壁」

マラソン選手を対象にした心理的介入の研究があります。アマチュアの男性ランナーに対して、認知行動療法に基づく心理スキルトレーニングを実施したところ、競技パフォーマンスだけでなく、心理的な指標にも明確な改善が見られました。

なぜマラソンの話が高校野球に関係するのか。それは「走り続ける」という行為が持つ心理的な負荷が、野球の試合と驚くほど似ているからです。

マラソンは42.195キロを走り続けます。途中で何度も「もうやめたい」という気持ちが湧いてくる。でも走り続けなければならない。野球も同じです。9回まで集中を切らせない。エラーしても次の打席がある。ピンチでも平常心を保つ。どちらも「心を保ち続ける」ことが求められる競技です。

この研究では、心理的介入を受けたグループとそうでないグループを比較しました。結果は明確でした。介入を受けたランナーは、レース中の不安が減り、自分をコントロールする力が高まり、最終的にタイムも向上しました。

重要なのは「気合いを入れろ」ではなく、具体的な心理スキルを段階的に学んだことです。

心理スキルトレーニングとは何か

この研究で使われた心理スキルトレーニングは、以下の要素で構成されていました。

目標設定:ただ「優勝したい」ではなく、達成可能な小さな目標を積み重ねる方法を学ぶ。

リラクゼーション:緊張した時に体をほぐす具体的な方法(呼吸法・筋弛緩法)を身につける。

イメージトレーニング:成功場面を頭の中で繰り返し再生し、脳に「できる」という記憶を刻む。

セルフトーク:自分に対する否定的な言葉(「またミスする」)を、肯定的な言葉(「次は大丈夫」)に置き換える練習。

集中力のコントロール:今この瞬間に意識を向け、過去や未来の不安から離れる技術。

これらは特別なことではありません。プロ野球選手の多くが無意識にやっていることです。ただ、高校生はまだそれを知らない。だから教える必要があります。

研究では、これらのスキルを週1回、計8週間にわたって段階的に指導しました。最初は基礎的なリラクゼーションから始め、徐々にイメージトレーニングやセルフトークへと進んでいきます。重要なのは「一度に全部やらない」ことです。

「でも、うちは野球の練習で精一杯です」という声が聞こえてきそうです

その気持ちはよく分かります。限られた練習時間の中で、バッティング練習も守備練習もノックもある。その上で心理トレーニングまで入れる余裕はない、と。

でも考えてみてください。試合で打てない選手に、さらに100本素振りをさせますか。それとも「なぜ打てないのか」を一緒に考えますか。

心理スキルトレーニングは、練習時間を増やすものではありません。今ある練習の「質」を変えるものです。

例えば、ノックの前に1分間だけ呼吸を整える時間を作る。これだけで集中力が変わります。ミーティングの最後に「明日の練習で自分が達成したい小さな目標」を一人ずつ言わせる。これだけで目標設定のスキルが身につきます。

マラソンの研究でも、トレーニングは週1回、1セッション60〜90分でした。高校野球に置き換えれば、週末のミーティングで15分、心について話す時間を作るだけでも十分です。

大切なのは「続けること」です。1回やって終わりではなく、8週間、つまり2ヶ月間続ける。新チームが始まる秋から冬にかけて、週1回のペースで心理スキルを一つずつ教えていく。春になる頃には、選手たちは自分で心をコントロールする方法を知っています。

明日から使える3つのステップ

研究の成果を、高校野球の現場で使える形に落とし込んでみます。

ステップ1:呼吸を整える習慣をつくる(1週目〜2週目)

まずはリラクゼーションから始めます。練習前に全員で1分間、目を閉じて深呼吸をする。吸って4秒、止めて4秒、吐いて8秒。これを3回繰り返すだけです。

最初は選手たちは照れくさそうにするかもしれません。でも2週間続けると、自然にできるようになります。試合前のベンチで、一人で呼吸を整えている選手が出てきたら成功です。

ステップ2:小さな目標を毎日設定する(3週目〜5週目)

次に目標設定のスキルを教えます。ノートに「今日の目標」を書かせる。ただし条件があります。

– 自分でコントロールできることだけ書く(「ヒットを打つ」ではなく「最後まで振り切る」)

– 数字で測れることを書く(「全力で走る」ではなく「ベースランニング5本を全力で」)
– 達成したら○をつける

3週間続けると、選手は「達成できる目標の立て方」を覚えます。これが試合での自信につながります。

ステップ3:成功場面を繰り返し思い出す(6週目〜8週目)

最後にイメージトレーニングです。過去に自分が成功した場面を、できるだけ詳しく思い出させます。その時の音、匂い、体の感覚まで。

週末のミーティングで、一人ずつ「今週うまくいった場面」を話させる。他の選手はそれを聞いて、自分のことのように想像する。これを8週間続けると、チーム全体に「できる」という記憶が蓄積されます。

マラソンの研究では、この3つのステップを段階的に進めることで、選手の心理的指標が明確に改善しました。不安が減り、自己効力感(自分ならできるという感覚)が高まり、結果としてパフォーマンスも向上しました。

心理スキルは「甘やかし」ではない

「そんなことをしたら選手が甘えるのでは」という声もあるかもしれません。でも、これは甘やかしではありません。むしろ逆です。

心理スキルトレーニングは、選手が自分で自分の心をコントロールする力を育てます。監督が常に励まさなくても、選手が自分で立ち直れるようになる。これは自立です。

マラソンの研究でも、介入を受けた選手たちは「自分で問題を解決する力」が高まったと報告されています。コーチに頼らず、自分で不安を処理し、自分で集中力を取り戻せるようになった。これは競技人生が終わった後も役に立つスキルです。

高校野球は3年間で終わります。でも選手の人生は続きます。心をコントロールする方法を知っている選手は、社会に出てからも、困難に直面した時に自分で立ち上がれます。それを教えるのも、指導者の役割ではないでしょうか。

正解はグラウンドにあります

この研究はマラソン選手を対象にしたものです。高校野球とは競技が違います。だから、そのまま使えるとは限りません。

でも「心を支える」という本質は同じです。走り続ける選手も、投げ続ける選手も、同じように不安を抱え、同じように自分と戦っています。

明日の練習で、少しだけ選手の心に目を向けてみてください。技術的な指導の前に、1分間だけ呼吸を整える時間を作ってみてください。ミーティングの最後に「今日うまくいったこと」を一人ずつ話させてみてください。

8週間後、選手の表情が変わっているかもしれません。夏の大会前夜、一人でグラウンドを走る選手が、今度は笑顔で走っているかもしれません。

答えはグラウンドにあります。